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教会の歴史
- 1890
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1890年プロテスタントの一派カナダのメソジスト教派所属のC・Sイビー宣教師により『中央会堂』が創立された。
大衆への伝道を行うだけでなく、インテリ層が唯物論や無神論を信奉する当時の風潮に対抗するために、学生に伝道する目的で、帝国大学、第一高等学校(東京大学教養学部)、女子高等師範学校(お茶の水女子大学)などの官立大学に近い本郷の地を選んだ。
教派的な教勢拡張ではなく、社会の改革によって多くの人々に神の救いがもたらされるようにとの思いから、名称は「教会」ではなく、超教派的立場をしめすためにモーセが荒野でテントを聖所としたことに由来して『中央会堂』(日本の中央の天幕)とした。
外観はテント型の大屋根の木造建築だった。
賀川豊彦による学生伝道集会、慈善音楽会が催され、また国内外の雑誌の閲覧所が設置されていた。
野口英世、内村鑑三も訪れていたという。幻燈とパイプオルガンを用いた伝道は日本の名物と評判であった。
- 1923
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1923年9月1日午前11時58分M7.9の関東大震災により焼失。
パイプオルガンは焼失したが、記録書、ピアノ、オルガン、印刷機は持ち出して無事であった。
- 1924
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1924年(大正13年)4月 多くの人々が震災で焼け出され混乱した世の中で、安全な子供の居場所の必要から『中央幼稚園』を新設した。(後に中央会堂幼稚園の改称)
- 1929
- 1929年(昭和4年)米国人宣教師ボーゲルの設計により現在の姿に再建された。
- 1945
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第2次世界大戦が激化、1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲で一帯は焼け野原となる。窓ガラスが割れて教会内に火が飛び込んできたが、逃げ込んだ近隣の50~60名の消火活動により焼失を免れて、数日間は罹災者700名を収容した。消失した元富士警察署が一時教会内に設置された。
- 1998
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チャーチゴシック様式特有の装飾が美しく、鐘楼を持つ荘厳な印象の鉄筋コンクリートの建物で、音響楽的にも考慮されており、1998年登録文化財に指定を受けている。
- 2016
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パイプオルガンの再建にむけた準備が2012年から始まり、2015年には当教会の創立と同時代に英国コナッハー社において製作されウェールズの教会で使用されていたオルガンを導入するに至った。不思議なことにオルガンの幅は設置場所の映写室の幅にぴたり納まり、またウェールズは当教会の初代オルガニストのガントレット氏の出身地という符合があった。
関東大震災でのパイプオルガン焼失から93年後の2016年5月22日㈰パイプオルガンお披露目コンサートが開かれた。
- 2020
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2020年2月12日に創立130周年を迎えるにあたり、2月9日㈰創立130周年記念礼拝が捧げられた。この日を迎えるまでに教会建物の安全性を高める修復、礼拝堂の漆喰塗り替え、雨漏り、外壁修復と塗装、空調設備の設置など、3年に渡り行われた。
新型コロナウイルスによる世界規模の感染拡大のため、3月末以降で教会が閉鎖している間は牧師が礼拝を執り行い、信徒は家庭礼拝を捧げる。