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お知らせ

2020年8月30日 教会学校礼拝 8月聖書解説

抜粋引用元:『季刊 教師の友 2020年7,8,9月』日本キリスト教団出版局

8月 2日 ローマの信徒への手紙 6章:22節~23節

 イスラエルの人々は、400年以上エジプトにおいて奴隷となっていましたが、モーセをリーダーとして…脱出しました。…40年後にようやく約束の地にたどり着きます。神さまはこの間さまざまな方法でイスラエルの人々を救い守られました。…その救いの業は、イエスさまがやがて引き継がれることになります。…奴隷生活とは…心も支配され自由を失います…自分できちんと考えなくなるからです。…パウロは律法の奴隷であり、心が支配されていたと気づきました。その体験から、人間は「罪の奴隷」としていきつく先は死であり、「義(神)の奴隷」としていきつく先は永遠の命/神さまのもとで生かされて生きることであると言います。自分の力では罪から解放されない人間のために、神さまはイエスさまを賜物として送られたのです。…十字架は、罪や死をくだき、命を与える勝利のしるしなのです。…人間や物質的なものの奴隷となっていないかということも考えてみましょう。

『みなさんは、…いちばんうれしかったプレゼントは何でしょう。…ほしいものをもらうと、とってもうれしいですよね。神さまも、私たちにたくさんのプレゼントをくれています。「いのち」や「力」、「おうちの人」、「お友だち」、「住む家」や「食べるもの」など、私たちの周りは、神さまがくださったプレゼントだらけです。けれど、神さまからのいちばんのプレゼントは「イエスさま」なんですよ。いつもみんなでお祝いしているクリスマスはイエスさまのお誕生日です。そのイエスさまをとおして「えいえんのいのち」というプレゼントももらいました。神さま、たくさんのプレゼントをありがとう!』

 今日はこんなお祈りを…『天のお父さま、私たちの代わりにたたかってくださるイエスさまを送って下さり、ありがとうございます。神さまの恵みにこたえて歩めますように。このお祈りをイエスさまのお名前を通してお捧げ致します。アーメン』

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8月 9日 マルコによる福音書 9章:7節

 …エジプトを脱出したイスラエルの人々は、モーセをリーダーとして、…荒れ野を旅しました。…道しるべとなったのが「雲の柱」「火の柱」です。…「雲」はたびたび登場します。モーセが十戒を授かるとき、幕屋に入ったとき、幕屋が完成したとき(出エジプト記19・9、33・9、40・35)、…ノアの洪水の後に契約が結ばれたとき(創世記9・12)ソロモンが神殿を建築したとき(歴代誌下5・13)などです。 …「山上の変容」として知られる今日の箇所(マルコ9章)は、イエスさまがペトロたちを連れて高い山に登られたときのことが描かれています。弟子たちの目の前で…旧約の最大の預言者エリヤと出エジプトのリーダーのモーセが姿を現してイエスさまと話を始められ…弟子たちはこわくて意味のわからないことをしゃべり始めました。「すると…雲の中から声がした。『これはわたしの愛する子。これに聞け』」(7節)。「わたしの愛する子」という言葉は、イエスさまが洗礼を受ける時にも登場します(1・11)。…イエスさまが多くの人を導き、さらには神の国へと導かれる方であることを神さまは示されたのです。…わたしたちを導く声をしっかり聴くことによって、神さまの恵みのなかに生きることができます。

『イエスさまはいろんな人をたくさん助けられました。五つのパンと二匹の魚をお祈りしてふやして、五千人ものおなかのすいた人に分けてくださったり、病気の人を治したり。耳の聞こえない人を聞こえるようにしたり、目の見えない人を見えるようにしたりしました。困ったり、悲しい人がいるとそばに行き、話を聴きました。うれしいときや楽しいときも近くにいて、一緒に楽しんでくれます。実はイエスさまは、…ご飯を食べていると必ずそばにいて、一緒に喜んで食べてくれているんだって。みんなも…イエスさまのこと、感じられるかな?…神さまは…困ったときには「イエスさまに聞いてね」って教えてくれています。困ったとき、悲しいときには「イエスさま、助けてください」とお祈りしようね。』

 今日はこんなお祈りを…『天のお父さま、イスラエルの人たちが大変なときに、雲によってみんなを守れました。どうか、今日もわたしたちと一緒にいて守っていてください。このお祈りをイエスさまのお名前を通してお捧げ致します。アーメン』

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8月 16日 ヨハネによる福音書 6章:30節~35節

 出エジプト記16章4~15節にエジプトを脱出し…荒れ野でしだいに空腹を我慢できなくなっていったイスラエルの人々は、不平不満をモーセにぶつけます。『…死んだ方がましだった…』と。…様子を見ておられた神さまは、毎朝「マナ」という食べ物を降らせ、人々は神さまの恵みを再び経験することになりました。

 今日の聖書箇所は、この経験を前提とされています。群衆がとてもえらそうな態度でイエスさまに不平を言っている様子が窺えます。この人々は少し前に五千人に食べ物が与えられるという奇跡を体験したにもかかわらずです。自分たちの意見を正当化するために、群衆はかつてイスラエルの人々が経験したマナの軌跡を例に出しました。モーセがしてくれた以上のしるし(食べ物)がほしいというわけです。イエスさまは「…わたしの父が天からのまことのパンをお与えになる」(32節)「わたしが命のパンである。」(35節)イエスさまは、ご自分こそが人々をいきいきと生かす力の源、すなわち命のパンであるとおっしゃいました。そして、ご自分に信頼する人は、いつも心も体も満たされているということをも言われたのです。イエスさまが与えてくださる命のパン。ひとりでいただくのも良いですが、周りの人たちと分かち合うことによって、わたしたちの毎日の生活や人生は、いきいきと希望あふれるものになります。

『私たちの「いのち」は神さまがくださいます。あさがおの種を土に埋めると、しばらくすると芽が出ます。葉になり、茎が伸び、お日さまが照り、雨がふることで大きくなっていきます。そしてやがて花をつけます。種の中に「いのち」があるからです。花がつくころ、埋めたはずの種を探してみても、種は見つかりません。種の「いのち」が成長して花になったからです。「いのち」は形を変えるのです。そして形を変えるために、おひさまや雨がいるのです。私たちのからだも大きくなるために、食べ物が必要です。同じように、「いのち」が成長するためには、”心の栄養”が必要です。その”心の栄養”はイエスさまが与えてくださるのです。イエスさま、ありがとう。』

 今日はこんなお祈りを…『天のお父さま、わたしたちがみんなでパンを分けあい、恵みや喜びを分かちあうことができますように。このお祈りをイエスさまのお名前を通してお捧げ致します。アーメン』

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8月 23日 ヨハネによる福音書 4章:13節~14節

 エジプトを脱出して神さまの約束の地に向かう旅の途中、喉が渇いてい仕方なかった人々は、空腹のときと同様、モーセに文句を言います。…それまで自分たちに与えられた恵みを忘れたイスラエルの人々を、それでも神さまは見捨てませんでした。…モーセが神さまが命じたとおりにすると、水が湧きその水を飲んだ人々は、再びいきいきとしたいのちを生きることになりました。 

 水汲みは、強い日差しを避けて朝方か夕方にするのが普通です。わざわざ昼間に来たこの女性は人目を避ける理由があったのでしょう。また、ユダヤはサマリヤ人と関わることを忌み嫌い、さらに男性中心社会であったので男性が女性に頼みごとをするなど考えられず、イエスが「わたしが与える水を飲むものは決して渇かない。…」と途方もないことをいいだし、女性は冗談半分に受け止めたようです。しかし、イエスはそのことに腹を立てることも見捨てることもなく、その女性の悲しみや苦しみに寄り添おうとされます。

 生きていると耳を塞いでも入ってくる破壊的な言葉があります。それはやがて体全体を無感動、無気力、無感覚で支配します。この危機に瀕した私たちに、イエスは「わたしが命のパンである。…」ヨハネ6・35、「わたしが与える水を飲むものは決して渇かない。…」ヨハネ4・14と語ります。殺伐とした言葉を聴き続けた私たちもイエスの存在を日々耳から「食べる」と人生に喜びがよみがえり、「永遠の命」の鼓動を感じる日がやってきます。

『神さまは私たちに「いのち」をくださいました。そのいのちは一人ひとり”違う”いのちです。兄弟で似ていても、双子でそっくりでも、まったく同じ人はひとりもいません。みんな”違う”ように作られています。神さまの”オリジナル”作品なのです。お絵描きが好きな子、鬼ごっこが好きな子、みんな違うよね。得意なこと、不得意なこともみんなバラバラです。そんな一人ひとりのことを、神さまは大切にされています。「出来ないからダメ」ではありません。できてもできなくても神さまからいただいたいのちです。だから大切です。のどが渇いたらお水を飲むように、「できないからダメ」と言われて苦しくなったときは、神さまが大切にしてくださっていることを思いだしてお祈りしよう。

 今日はこんなお祈りを…『天のお父さま、わたしたちにイエスさまの水を与えてくださり、ありがとうございます。その水によって、元気に過ごすことができますように。このお祈りをイエスさまのお名前を通してお捧げ致します。アーメン』

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 8月 30日 コリントの信徒への手紙一 5章:7節~8節

 神さまは苦しい状況におかれているイスラエルの人々を救うために、エジプトに災いをもたらしました。その一つは、エジプトで生まれたすべての初子の命を奪うというものでした。そのとき神さまは、子羊を屠りその血をしるしとして家の鴨居につけたイスラエルの人々の家には災いをくだされませんでした。人々は過越祭のなかでその出来事を記念し、神さまの救いを思い起こしました。さらに、急遽エジプトを脱出することになった人々が、酵母をいれるひまがなかったパン生地を鉢ごと外套に包んで持ち出した出来事を記念するお祭り、徐酵祭のときに、酵母(イースト菌)が入っていないふっくらせず美味しくないパンをたべることによって、イスラエルの人は神さまの導きを忘れないようにしました。 

 今日の聖書では、忌むべき行いや考えが「古いパン種」、すなわち古い酵母書して表現されています。当時、コリントの教会の人々は、見過ごすことができない道徳的な問題に直面していました。人々はそれを大きな問題と考えていなかったようです。気が付いていなかったかもしれません。パウロは手紙を書き、問題を重大なこととして真剣に考えるように求めました。よくない行いや考えである「古いパン粉」を捨てて、信仰に入ったときの素直な姿勢になり感謝の気持ちや喜びを取り戻してほしいというのです。

 そして出エジプトの際に屠られた子羊によって人々が救われたように、神さまが子羊としてイエスさまを十字架にかけられたことで、自分たちが救われたことを思い出しなさいとパウロは続けて言います。酵母を入れないパンを食べることでイスラエルの人々は神さまの救いと守りを忘れないようにしました。それによって神様から離れることなく歩むことができたのです。

 わたしたちは生きる中で自分自身の価値観や考えを持つようになります。それらは物事を判断する場合などに不可欠ですが、それに固執しすぎるならばつまずきにもなりかねません。自分の思いや考えをいったん脇に置き、神さまが与えてくださった恵みや喜びに生きるとき、わたしたちは神さまから離れることなく生きてゆくことができます。

『みなさんは大きくなったら何になりますか?漫画家?ケーキ屋さん?スポーツ選手?いろいろななりたい「夢」があるよね。でも、お友だちの方が絵がうまいとか、お友だちの方が走るのが早いとか、泣きたくなったこともあるかもしれないね。「できる」と思っていても、やってみると「できない」こともあるかもしれません。うまくいかないこともたくさんあります。でも心配しないで。うまくいかないことも神さまからのプレゼント。うまくいかなかったとしても神さまはみなさんを成長させてくださいます。

 今日はこんなお祈りを…『天のお父さま、わたしたちの中にある良くないパン種を取り除いてください。素直な心で、神さまを信じることができますように。このお祈りをイエスさまのお名前を通してお祈りします。アーメン』

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