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2020年9月27日 教会学校礼拝 9月聖書解説

抜粋引用元:『季刊 教師の友 2020年7,8,9月』日本キリスト教団出版局

9月 6日 ヨシュア記 3章:14節~17節

 今日の聖書箇所は、出エジプト記14章と似ています。3章1節から読むと、祭司が担いでいた契約の箱が大切なことが分るでしょう。箱の中に納められているのは十戒です。十戒は旅路を守り、民を導く指針でした。その十戒を担いだ祭司たちが、みずが逆巻く川に進み行くと、水がせき止められ、イスラエルの人々が乾いた川床を通ることができました。神さまが道を拓いて、わたしたち信仰者を進み行かせてくださいます。

 人が越えられないと思えた水を越えることで、前後で何かが変わります。ただし、嫌なことから逃れただけの自由では、喜びは長くは続きません。時には放縦(何の規律もなく勝手気ままにふるまう)ふけることすらあります(ルカ15章・13)。自由の中で、自分の生き方を見つけてこそ喜びは持続します。エジプトの支配を逃れた人々は、荒れ野の旅路を経て、与えられた自由を生きる道を学んでいきました。それは本当に属するべきところを見出し、自分を活かすことができるようになるためです。

 わたしたち自身の前に立ちはだかる、さまざまな困難があります。受験、家族や友だちと思いが通い合わないこと、見えない将来の不安、夢と現実の狭間で悩むことなど、いくらでも挙がるでしょう。人には絶対と見える障壁でも、神さまが乗り越えさせてくださいます。それが、わたしたちの人生でも起こるのを思いめぐらすと共に、救ってくださる神さまにどう向き合っていくのか考えてみましょう。

 『聖書には、びっくりするようなお話がたくさんあります。海が分かれて歩けるようになり、追いかけてきた人につかまらずにすんだとか、おなかがすたときにパンのような食べ物が空から降ってきたとか、杖で岩を打つと水が出てきて飲むことができたとか。今日のお話も、川の水が止まって、神さまが約束された場所に向かって、みんなが川を渡ることができたというお話です。わたしたちは困ったときや、悲しいときは「神さまなんていない!」て思ってしまいます。でも神さまはいつもわたしたちを助けたと思っていてくださいます。どんなときも「神さまは、必ず、助けてくださる」と信じ、感謝することができたらいいなと思います。

 今日はこんなお祈りを…『天のお父さま、わたしたちの目の前に、どんな川がながれていたとしても、越えさせてくださるすごい神さまに、ハレルヤ!主をほめたたえます。このお祈りをイエスさまのお名前を通してお捧げいたします。アーメン』

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9月 13日 列王記上 8章:10節~13節

 聖書で「雲」は、神さまの顕現のしるしです。ここではソロモンが建てた神殿に、雲が満ちます。確かな祝福が与えられたのです。出エジプト後の荒れ野を旅する放浪生活を経て、定住生活に移り、神さまを礼拝する仕方も新しくなりました。神殿は人間が、ここで神さまに礼拝しようと決めたからそうなるのではありません、神さまがそこで人間に出会うという保証を、神殿に満ちた「雲」が与えています。

 ソロモン王の前のダビデ王も神殿を建てることを願いながら、自分の治世においてはかないませんでした。人間が良かれと思うこと(どんなにそれが善良であろうとも)がみ心にかなう、のではなく、神さまの決定に従うことが信仰においては問われます。クリスチャンが事あるごとに祈るのは、み心を尋ね求めているからです。その祈りがみ心にかなっているという、神さまからの答えが、ここでは雲なのです。

27~29節でソロモンは「神は果たして地上にお住まいになるでしょうか。(中略)今日僕が御前にささげる叫びと祈りを聞き届けてください。そして、昼も夜もこの神殿に、この所に御目を注いでください」と祈っています。現代のわたしたちの身近に神殿はありません。でも、新約聖書では信仰者に向けて「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の雲が自分たちの内に住んでいる」(Ⅰコリント3・16)とあります。わたしたちが良いことを願ったからといって、神さまにふさわしいのではありません。雲のように、聖霊が降ることよって、わたしたちの考えも、言葉も、行動もみ心にかなうものに変えられます。

『みなさんには、大好きな人がいますか?おうちの人かな。お友だちかな。大好きな人とは、「ずっと一緒にいたい!」って思うよね。今日のお話は、「神さまのために神殿を建てた」というお話です。神さまにずっと一緒にいてほしいと思ったので、神さまのためのおうちを建てたのです。神さまはどこにでもおられるし、私たちの心の中にもおられるけど、教会は特別に神さまにお会いできる所です。神さまや、大事な人と一緒にいることを、これからも大切にしたいと思います。

 今日はこんなお祈りを…『天のお父さま、わたしたちの体の中、心の中に聖霊が宿って、わたしたちもソロモン王の建てた神殿のように神さまをお迎えできますように。このお祈りをイエスさまのお名前を通してお捧げいたします。アーメン』

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 9月 20日 ヨハネの黙示録 21章:6節~7節

 (イエスさまは地上での死を乗り越え復活し、弟子の前に現れ、天に返られました。その後の、再臨して天国に迎え入れた人たちと共におられる将来のイエスさまの宣言。)

「わたしはアルファであり、オメガである」(6節)ギリシャ語のアルファベットの最初と最後。初めから終わりまでずっと、という意味です。一人ひとりの人生を、この世の初めから終わりまで、神さまはずっと守っています。それだけでなく、始まる前からと、終わった後も、この世の時間を越えて守ってくださいます。天国でも生きる事を支えていてくれる。一旦は死んで乾いたようでも、新しい命を養う水が与えられて、この世では尽きてしまう命も、天国で永遠の新しい命に復活させられます。

 同じ水のテーマで、7月26日には荒れ野で水が与えられた話、8月23日にイエスさまを信じる者に今与えられる水があることを聞きました。過去の出来事の言葉が将来にも語りかけています。

 この世に現に生きる中で、わたしたちにはどうしてもそう感じられない時もあるでしょう。今、味わっていることがすべてなのではなく、その困窮を神さまはご存知であり、その先にも恵みを備えておられるのです。

『私の”いのち”はどこから来たのでしょうか。お父さんとお母さんから。お父さんとお母さんははどこから来たのかな?…おじいちゃんとおばあちゃんは?…どんどん昔になってわからなくなるよね。そんな昔から神さまは私のことを考えていてくれたんだ。じゃあ死んだらどうなるの?それはね、体はなくなっても”いのち”そのものは神さまの国、天国にいるんだよ。  生まれる前には、私のからだはありませんでした。死んでしまったら、やっぱりからだはなくなります。でも”いのち”は違います。神さまと一緒にず~っと生きています。ず~っと前から「いて」、ず~っと先も「いる」神さまと一緒にいます。神さま、ありがとう。

今日はこんなお祈りを…『天のお父さま、昔も、今も、いつまでも、神さまと一緒に、神さまに養われて、生きることができますように。そのしるしの水をください。このお祈りをイエスさまのお名前を通してお捧げいたします。アーメン』

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 9月 27日 申命記 8章:2節~10節

 イスラエルの民が経験した旅には、神さまが備えた使命がありました。申命記の「申」は「重ねる、繰り返す」といった意味があります。ゴールがまだ遠い民の旅を支え、励ます神様からの力強い言葉が申命記です。

 私たちの地上の人生は、長い旅路の中には苦しいことも、飢えるように欠乏を覚えることもあります。エジプトを脱出してすぐのころ、民は少し困ったことがあれば文句を言い、エジプトが良かったと後ろ向きになります。しかし神様は奇跡によって道を拓き、さらに遠くまで旅を続けさせ、その経験でイスラエルを成長させるのです。

 3節(マタイ4章4節に引用されている)「~人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。」ここに、生きる事を根本から支え、また、誘惑に打ち勝つ基があります。神さまに従おうとする信仰の道から、わたしたちを迷わせようとするサタンがいます。それに勝利されるイエスさまの神の言葉の剣(エフェソ6章17節)「また、救いの兜をかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。」が、わたしたちにも示されているのです。それを手に取ることで、自分の人生における戦いに臨んでいけます。

『今、目に見えるものは何ですか?「聖書」「さんびか」、先生やお友だちの「顔」「椅子」「お花」、いろいろなものが見えるよね。目に見える物を教えてくれたけど、それはみんな「名前」だよね。「名前」は言葉です。「聖書」という名前の言葉。「さんびか」という名前の言葉。お友だちの名前の「○○ちゃん」も言葉だよね。「言葉」があることで、目の前のものが、”ある”とか”いる”ってわかります。

 目に見えないものにも「名前」や「言葉」があるよ。「優しい気持ち」「怒り」「悲しみ」「がんばる勇気」など。言葉があることで、見えないものも”ある”ってわかるよね。神さまがしてくださったことも言葉があるからわかります。神さまがしてくださったことを忘れないようにしようね。

 今日はこんなお祈りを…『天のお父さま、神さまからいただいたわたしたちの命を大切にし、神さまが見て良しとされる方向に進んでいけますように、お導きください。このお祈りをイエスさまのお名前を通してお捧げいたします。アーメン』

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