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お知らせ

2020年10月25日 教会学校礼拝 10月聖書解説

抜粋引用元:『季刊 教師の友 2020年1011,12月』日本キリスト教団出版局

  10月 4日 創世記 1章:31節~2章:3節

 創世記は、「初めに、神は天地を創造された」と、対極的なものを示すことで全てのもを表しています。神さまは、最高傑作として世界をお造りになり、七日目を聖別され(神さまのために取り分ける)安息されました。モーセの十戒でもこの日は仕事を離れ、神さまが与えてくださった恵みに感謝する日なのです。

 私たち人間は、特に神さまの形に似せてつくられました。ここに人間の本質があります。私たちも神さまの、完璧な作品として、祝福され、愛されたものとして、造られたのです。神さまは人間に、最高傑作である、この世界の維持を委ねられたのです。世界と人間に注がれている祝福と愛の出来事は、イエスさまをこの世に遣わしてくださるよりも遥かに昔、創造の始まりから、今日に至るまで続いています。

『神さまはすごいパワーの持ち主です。何もないところから、いろいろなものを造りました。太陽も月も星も、わたしたちが住んでいる地球も、地球の上の木も草も動物も魚も鳥も、そしてわたしたち人間も造りました。どれもとても良いものだ。よく働いたから、少し休もう」神さまはお休みになりました。 

 みんなはたくさん遊ぶと疲れるでしょう。お父さんやお母さんも先生たちもたくさん働くと疲れます。疲れると眠くなるよね。そうしたらどうする?そう、休むといいよね。寝るのもいいよね。また元気が出て来るね。働くことも、休むことも大事。神さまは「わたしも休んだのだから、みんなも休みなさい」と優しい言葉で教えてくださいます。

 今日はこんなお祈りを…『天のお父さま、すべての命の源である神さま、今日も新しい日をありがとうございます。今日も神さまの愛を知り、お友だちと共に生きる人としてください。このお祈りをイエスさまのお名前を通してお捧げいたします。アーメン』

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  10月 11日 創世記 2章:7節~9節

 創世記2章には、人間が土の塵から創造されたことが描かれています。神さまは人間の「鼻の命の息を吹き入れられ」生かされる者としました。命の息は「神さまの霊」と考える事が出来ます。息を吹き入れられた人間は、神さまの力(霊)によって働く存在となります。

 「エデン」とは「喜び、楽しみ」の意味で、神さまは人間をエデンの園(楽園)の管理人にされます。そして「命の木」と「善悪の知識の木」を置かれます。そして「善悪の知識の木」からは決して食べてはならないと初めて、神さまからの「禁止」が示されます。

 そして、人間(男)に合う助ける者、もう一人の人間(女)をお造りになりました。人間と人間が徹底的に向き合い、理解し合い、助け合う関係を与えてくださったのです。人間ははかない土の器でありながら、最も神様の祝福を受け愛されました。人間は神さまから離れて生きていくことは出来ないのです。

『神さまは何を造りましたか?世界…太陽、月、草、魚、鳥、動物、最後に私たち人間を泥で造りました。「えっ!泥?」神様は泥で上手に人間を造りました。でも泥の人形は生きてないよね。神さまは泥の人形の鼻の穴から、ふーっと息を吹き込みました。神さまの息は命の息です。こうして造った人を神様はとても愛してくださり、エデンという美しい所に住まわせてくださいました。

 今日はこんなお祈りを…『天のお父さま、いっしょにいてくださり、ありがとうございます。今週も神様に力をいただいて歩むことができますようにお守りください。このお祈りをイエスさまのお名前を通してお捧げいたします。アーメン』

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  10月 18日 創世記 3章:1節~7節

 エデンの園の中央には、「善悪の知識の木」と「命の木」が植えられていました。そして人間は「善悪の知識の木」からだけは取って食べてはいけないと神さまから告げられていました。「主が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇」でした。蛇は女を試します。蛇の目的は何だったのでしょうか。木の実を食べた人間は、神さまとの関係において試練を受けることになりました。つまり「あなたは神さまに従って歩むことができるのか」という問いが蛇の誘惑には隠されていたのです。

「食べてはならない。」は神さまの愛の戒めでした。しかし、人間は、神の愛を信じることができず、神さまの恵みに留まり続けることができませんでした。木の実を食べて知ったのは、自分たちが裸であるということでした。旧約聖書において、裸であることは、弱さや欠乏状態にあることを示しています。人間は自分たちが、もろく弱い存在であることに気づいてしまいました。塵で造った土の器に神さまが息を吹き入れられて生きる私たちは、神さまを離れては生きていくことができません。このことを「食べると必ず死んでしまう。」という言葉は示しています。

女は神さまの戒めの内容を変えて語ったので、蛇は善悪の知識の木へと巧みに誘導します。「ちょっと興味本位で」「これくらいなら」という思い、禁止されている内容に主観を挟んで勝手に変えてしまういい加減さ、ないしは、より強い意味合いを持たせなければ守ることができない弱さ、責任を問われたときに誰かのせいにしてしまう身勝手さを突いて、誘導します。

最終的に人間は、園を追い出されてしまいます。そして、それまでにはなかった生きる上での苦しみが与えられました。しかし、神さまはただ追放するのではなく、苦難を乗り越えられるようにと皮の衣を着せ、守り、深い愛を示されます。」

『世界が造られたとき、人は一人だけでした。神さまはもう一人、女の人を造りました。そして、神さまは二人に、どの木の実も食べていいよ、でも園の真ん中にある木の実だけは食べてはいけないよと言いました。

ある日、蛇の形をした悪魔が女の人に言いました。「ねえ、あの木の実をどうして食べないの?」、女の人は「神さまから食べてはいけないと言われているからよ。」、蛇「大丈夫だよ、神さまが食べさせたくないだけさ。食べてごらんよ」。女の人は我慢できずに、食べてしまいました。すると、女の人は男の人に言いました。「ねえ、あなたもこの木の実を食べてみてごらんなさい。とてもおいしいから。」、男の人は食べてしまいました。「おいしいね!」。

神さまは二人をとても愛していたので、二人が約束を守らなかったことをとても悲しく思いました。』

 今日はこんなお祈りを…『天のお父さま、心が弱くなってしまうとき、どうぞ私たちを守ってください。そして、神さまのお言葉に従って歩むことができますように。このお祈りをイエスさまのお名前を通してお捧げいたします。アーメン』

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  10月 25日 創世記 6章:1節~8節

 神さまは、エデンの園から追放した後も、人間の行いを見ておられ、人間の思いも行いも悪いのを見て心を痛めました。神さまは、悲しまれた末に「ぬぐい去ろう。」(7節)と、苦渋の決断を下します。一方で、希望が示されています。ノアがただ純粋に神さまを見上げて歩む人だったからこそ、神さまはノアに目を向けられたのです。

 私たちに吹き込まれた神さまの命の息は、いつか抜かれる日が来ます。体は塵に返ります。それまでの間、この地上で私たち一人ひとりに出来ることを一生懸命に取り組んで、共に歩む人たちと誠実に向き合うように、神さまは勧められているのではないでしょうか。神さまがこの世界をお造りになったとき、この世界を支配するように人に命じられました。支配とは、人の好きなように、あるいは都合の良いようにふるまうことではありません。人間が助け合い、神さまが造られた世界を守ってくれるようにと願い、託されました。しかし人間は、人間中心の世界を築こうと考えます。人間の自己中心の思いは広がる一方です。聖書には、神さまの怒りではなく、悲しみや痛みが示されます。この神さまの御心に気づかず、神さまから離れてしまう人間の心こそが、聖書の語る「罪」です。

 ノアは、神さまの御心が何かを常に考えて、神さまを信じて歩むひとでした。決して完璧な人ではありませんでしたが。神さまは、完璧でなくても、神さまを愛し、神さまに従って歩もうと努力する人をそれ以上に大きな愛で包んでくださいます。私たちも、与えられた時を、与えられた場所で、神さまを見上げながら歩んでいきましょう。

『神さまとの約束をやぶったアダムとエバは、エデンから追い出されました。エデンでは働かなく絵もおなかいっぱい食べることができました。でも今は、畑を耕したり、羊を飼ったりして働かなくてはなりません。こどものカインとアベルもよく働きました。ところがある日、大変なことが起こりました。カインが弟のアベルを殺してしまったのです。このことは神さまをとても悲しませました。

 やがて人が増え始め、世界中に人が住むようになりました。でも人は喧嘩をしたり、悪口を言ったりして神さまを悲しませました。「私は、自分に似せて、良いものとして人を造ったのに、どうして人は悪いことばかりして私を悲しませるのだろう。人を造らなければよかったのかもしれない。しかたがない、世界を初めに戻そう」。神さまはそう考えました。』

 今日はこんなお祈りを…『天のお父さま、私たちも神さまを悲しませているかもしれません。ノアさんのように素直な心でお祈りして、神さまのことばを聞くことができますように。このお祈りをイエスさまのお名前を通してお捧げいたします。アーメン』

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