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2020年12月27日 教会学校礼拝 12月聖書解説

抜粋引用元:『季刊 教師の友 2020年10,11,12月』日本キリスト教団出版局

12月 6日 イザヤ書 59章:12節~20節

 イスラエルの民は五十年以上に及ぶ異郷の地バビロンでの捕囚から解放され、喜び勇んでエルサレムに帰還しました。エルサレムに帰ったら、新しい人生の一歩を踏み出せると期待していました。ところが、神殿も、町も、家も、全て瓦礫の山で、一つ一つ取り除く気が遠くなる、虚しさに捕らわれる日々が続きました。神は手が短いから、私たちを救えない。耳が鈍いから、私たちの叫びが聞こえない、神さまは何もしてくれない、という民の呟きに対して、預言者を通して語られた神さまの御言葉が59章の冒頭「主の手が短くて救えないのではない。主の耳が鈍くて聞こえないのでもない」です。そして、むしろ、神さまとの間に壁を作り、神さまの御手を妨げているイスラエルの民の悪、その罪が原因と続きます。その悪を、罪を乗り越えて、神さまの御手、耳が具体的に人間となられたのが「救い主」です。「霊」と「言葉」において、永遠に共におられるインマヌエルの神となってくださる「約束」が語られています。 

『わたしが子供のころ、よくいたずらをしてお母さんやおばあさんに叱られました。お父さんに叱られたことはあまりありませんでした。ある日、わたしはひどいいたずらをしたら、いつもは叱らないお父さんにひどく叱られました。大きな声で叫んでも許してくれません。とても悲しくなって、大声で泣きました。そのうちにお母さんが来て、「お父さんにごめんなさいが言える?」「いっしょに行ってあげるから、お父さんにごめんなさいしよう。」と言ってくれました。そうして、やっとごめんなさいが言えて赦してもらえました。

 イエスさまは、ごめんなさいがなかなか言えないわたしたちを神さまの所に連れて行って、一緒にごめんなさいを言ってくださいます。イエスさま、ありがとう。』

 今日はこんなお祈りを…『イエスさま、あなたの手でわたしを守り、あなたの耳でわたしの祈りを聞いて下さい。神さま、わたしたちはお祈りをイエスさまのお名前を通してお捧げいたします。アーメン』

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12月 13日 士師記 13章:2節~14節

 サムソンは士師記に登場する十二人の士師の最後に登場します。「士師」とは神さまから特別なカリスマ(賜物)を与えられた指導者です。

 サムソンの時代、ペリシテ人という文明の発達した民族が、イスラエルの民を四十年間脅かしていました。サムソン物語は主イエスの誕生と重なり合っています。主の御使いがマノアの妻に受胎告知します。その子はナジル人(主に誓願を立て、主に献身した者でそのしるしとして、生まれてから髪を伸ばし、ぶどう液は一切飲まない。(民数記6章2~8節))として「イスラエルを解き放つ救いの先駆者となる」(士師記13章3~5節)というのです。

 この「救い」とは、救い主イエスを指し示しています。サムソンは自らのいのちを犠牲にしてまで、イスラエルをペリシテ人の手から救い出しました(16章23~30節)。そのことは、主イエスが十字架で自らのいのちを犠牲にしてまで、私たちを罪の支配から救い出した出来事を指し示しています。主イエスは、死で終わりであった私たちの命に、死を打ち破り、甦りの命を開拓された主イエスこそ、まことの「命の開拓者」であり「救いの主」なのです。

『昔、イスラエルの国に住んでいたマノアさんと奥さんには赤ちゃんがいませんでした。「赤ちゃんに来て欲しいけれど、なかなか来てくれないね」と話していました。ある日、天使が来て「あなたのところに男の赤ちゃんが来ます。その子はあなたがたのために神さまのお仕事をする人になります。あなたがたを守る人になります」と言ったのです。やがて赤ちゃんが生まれました。その子は大きくなるととても強い人になって人々のために働きました。それから何百年も経ちました。今度はナザレという村に住んでいた若い女の人の所に天使が来て言いました。「マリアさん、あなたに赤ちゃんが産まれます」。マリアさんはびっくりしました。でも神さまの言葉を信じました。』

 今日はこんなお祈りを…『イエスさま、わたしたちを救ってくださりありがとうございます。イエスさまのお誕生をみんなでお祝いします。アーメン』

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12月 20日 イザヤ書 7章:10節~14節

 イザヤ7章の時代、小国である南王国ユダのアハズ王は、北のアッシリア帝国、南のエジプト帝国に挟まれ、生き延びる道を模索していました。そんな時に、アラムの王と北王国イスラエルの連合軍がエルサレムに攻撃を仕掛けようとしました。預言者イザヤはアハズ王に「落ち着いて、静かにしていなさい。恐れることはない」(4節)と言いました。これは「主に信頼し、主の御声を聞く」ということです。そして9節の「信じなければ」の信じるは、アーメンの基の言葉で、「主の言葉に堅く信頼する」と言う意味です。さらにイザヤは「あなたの神に、しるしを求めよ」と言い、アハズ王は「わたしは求めない、主を試すようなことはしない」と答えます。するとイザヤは神へのイエス(主は救いという意味)の御誕生と「その名をインマヌエル(神は我々と共におられるという意味)と呼ぶ」と予言します。

 イエスは「主は救い」という意味で、インマヌエルは「神は我々と共におられる」という意味です。不安と怖れに取り囲まれてしまうと、心が右往左往して焦点が定まらなくなります。そんな時には、「落ち着いて、静かにして、主の声を聞き、御言葉を堅く信頼すれば、慌てることなく、確かに立つことができる」そして「我々と共におられる神」であるイエスさまが一緒にいてくださる事を思い出して下さい。そしてクリスマスはそのイエスさまのお誕生を喜ぶと時なのです。

『イエスさまが生まれるよりもずっと昔から、イスラエルの人たちは、神さまが約束してくださった、救い主がいつ来るのかと待っていました。でも救い主はなかなか来てくだいません。それから何百年も経ちました。ナザレ村のマリアさんとヨセフさんの所に天使が来て言いました。「おめでとう、あなたの家に赤ちゃんが産まれます。その子は、あなたがたが長い間待っていた救い主なのだ。イエスと名付けなさい。」 二人は天使の言葉を信じました。マリアさんは心で思いました。わたしが救い主のお母さんになるなんて、なんとすてきなことでしょう。神さまありがとう。』

 今日はこんなお祈りを…『イエスさま、どんなときにも、わたしたちと共にいてくださるイエスさまの名前を呼びます。アーメン』

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 12月 27日 マタイによる福音書 2章 1節~12節

 救い主イエスの誕生の物語です。最初に礼拝したのはユダヤ人ではなく、異邦人でした救い主イエスは世界の全ての民の救い主として誕生されました。…「彼らはひれ伏して幼子を拝み」(11節)このひれ伏しは、「ひざまずく」を意味し「礼拝する」「キリスト礼拝」「クリスマス」と言う言葉になりました。異邦人の博士たちは、この幼子こそ、「まことの神」であると確信したのです。黄金は王のしるし、乳香は神さまと人の間に立ち、執り成して祈る祭司のしるしです。没薬は死者の身体に塗る防腐剤で、イエスの十字架の死を暗示するものです。これらを捧げる事は、幼子イエスこそまことの救い主であると信仰告白でした。 神さまは救い主イエスさまを贈り物としてくださいました。その出来事へ感謝を表すため、私たちはイエスをキリストとして礼拝するのです。

 救い主の誕生に一番敏感であったのは、ヘロデ王でした。彼は、王座の交代が行われるのではないかと不安を感じていました。幼子イエスの誕生は、私たちの人生の王とは誰なのかを問いかけてきます。

『救い主の誕生を世界の人たちが待っていました。「救い主が生まれた!」遠い国に住んでいた人たちにも、イエスさまが生まれた知らせが届きました。知らせを届けたのは星でした。星を見ていた学者たちが、不思議な星を見つけたのです。「不思議な星だな。何の知らせだろう?そうだ、救い主が生まれたしるしの星だ。さあ、救い主に会いに行こう。誕生のお祝いに贈り物を持っていこう」 こうして学者たちは輝く黄金、良い香りのする乳香、良く効く薬の没薬を持って出発しました。やっとユダヤに着きました。でも、救い主がどこにいるのかわかりません。王様のところにも行きましたが、いません。あちこち探してやっと見つけました。ベツレヘムという村のお家にいたのです。救い主に会った学者たちはとても喜び、黄金、乳香、没薬の贈り物をイエスさまにささげました。

 今日はこんなお祈りを…『天のお父さま、東方の博士たちのように、わたしたちも幼子イエスさまを拝み、クリスマスをお祝いします。このお祈りをイエスさまのお名前を通してお捧げいたします。アーメン』

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