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お知らせ

2021年4月11日 教会学校礼拝 4月聖書解説

(抜粋引用元:『季刊 教師の友 2021年4,5,6月』 日本キリスト教団出版局)

  4月4日 ヨハネによる福音書 20章1~18節[イースター礼拝]

 週の初めの日、マリアはイエスさまのお墓に行くのですが、ここで墓の穴を塞いでいた大きな石が取り除けてあるのを見ます。十字架に架けられた者は、埋葬されることがなく、死んだ後も呪われた存在でした。マリアはきちんと埋葬しその呪いを解こうとしたていたのかもしれません。

マグダラのマリアは苦しみながら過ごしていたとき、悪霊を追い出していただいたこと、再び生きる希望を与えられたことに喜び、感謝していたのです。しかし、かけがえのない人を、最後に一人にしてしまいました。十字架に架けられたイエスさまのために、何もすることができなかったことを後悔していたはずです。追い打ちをかけるように遺体を見失い、途方に暮れ、後悔し泣く事しかできなかったのです。彼女は絶望していました。しかし、その絶望を引き裂いて、イエスさまは「マリア」と呼びかけているのです。この呼びかけはイエスさまのマリアに対する赦しの宣言でした。イエスさまを裏切り後悔と絶望を引きずりながら生きる者に、怒りや裁きではなく、許しと和解を携えてイエスさまは復活されたのです。

『日曜日の朝早く、マグダラのマリアはイエスさまのお墓に行って驚きました。お墓をふさいでいた石がとりのけてあり、イエスさまのおからだがありません。「誰かがイエスさまを運んでしまった。」マリアの目から涙があふれました。泣いているマリアさんの後ろに復活のイエスさまが立ちました。でもマリアは、その人はお墓の手入れをする人だと思って泣き続けました。でも、その人が「マリア」と名前を呼んだとき、イエスさまだと気が付きました。そして涙を拭いて、イエスさまをみつめ「ラボニ(先生)」と答えて、イエスさまの復活を喜びました。マリアの名前を呼ばれたイエスさまが、今、わたしの名前を呼んでくださいます。イースターおめでとうございます。』

 今日はこんなお祈りを…『天のお父さま、私たちもイエスさまの復活を喜びながら、イエスさまの復活を多くの人たちに伝えることができますように。このお祈りをイエスさまのお名前を通しておささげいたします。アーメン』

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  4月11日 マタイによる福音書 1章1節、16~17節

 マタイによる福音書の著者は、イエスさまを信じる人々に、旧約聖書における神さまの祝福と約束を思い起こさせるとともに、世界中の人々に神さまが与えようとされた新しい約束を語りだそうとしているのです。ユダヤの系図は男性中心に展開されるのですが、ここには四人の異邦人女性の名前が記されています。神さまの救いがユダヤという枠を超えて、異邦の地にも用意されていたことを伝えようとしていたとも言うことができます。

 また、バビロニア、ペルシャ、エジプト、アッシリア、ローマの支配下におかれた時期がありました。そのような苦難によって、イスラエルの人々は「飼い主のいない羊のような有様」マルコ6:34)で歩まざるをえなかったのです。その中を生きる人々は救い主を待ちのぞむようになりました。イエスさまは人々が待ち望んでいたダビデのような政治的な王様とはなりませんでしたけれど、人々の苦しみ、悲しみを解き放ち、生きる希望を与える救い主として歩まれたのです。

 マタイによる福音書が記されたのは、イエスさまを信じる人々が増えてきた時代です。同時に、イエスさまに敵対する人々も現れるようになりました。それらのひとびとに、この福音書の著者は、イエスさまこそがイスラエルの人々を導く正統的な救い主であることを伝えようとしたのだと思います。すなわち、イエスさまのこの地上に到来したのは「エッサイの株からひとつの芽が萌えいでその根からひとつの若枝が育ち その上に主の霊がとどまる」(イザヤ書11:1~2)というイザヤの予言の成就として受け止めようとしたのです。

『マタイによる福音書のはじめに人の名前がたくさん出てきます。カタカナの名前を読むのは大変ですね。それでもあきらめずに読むときいたことのある人の名前が出てきます。はじめのあたりの、アブラハム、イサク、ヤコブは族長といって神さまに選ばれた家族を導いた人たちです。真ん中あたりの、ダビデやソロモンのことは知っていますね。この二人は親子で、二人とも王様としてイスラエルの人々と国を治めました。おわりには、わたしたちがよく知っているヨハネ、マリアの名前が出てきます。そして最後にイエスさまのお名前が出てきます。

 神さまは、イエスさまを一つの家だけではなく、ひとつの国だけでなく、すべての人を救う救い主としてわたしたちにお与えくださいました。』

 今日はこんなお祈りを…『天のお父さま、あなたはわたしたちにもイエスさまをおあたえくださいました。今もいえすさまがわたしたちと一緒に生きてくださっていることに感謝出来ますように。 このお祈りをイエスさまのお名前を通しておささげいたします。アーメン』

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  4月18日 マタイによる福音書 3章13~17節

 イエスさまの降誕物語の次におかれているのは、洗礼者ヨハネの活動の場面です。罪に苦しむ多くの人々が、ヨルダン川で活動する洗礼者ヨハネのもとに向かっていきました。その洗礼を受ける人々の中に、ガリラヤのナザレから来たイエスさまもいたのです。

 洗礼者ヨハネは、エルサレム神殿に仕える祭司の家系に生まれました(ルカ1・5)そのため、ヨハネはエルサレム神殿の内情を知りながら育っていったのではないかと考えられます。彼は成長していくなかで、エルサレム神殿の腐敗を目にするようになり、家を飛び出してヨルダン川で洗礼を授けるという活動を開始します。ヨハネが登場するまでは、神殿に犠牲の献げ物を捧げることなどによって、罪が赦されてきました。しかし、ヨハネは一度きり、心から悔い改めの洗礼を受けることによって、罪が赦されると主張したのです。ヨハネは、自分ではない洗礼を授ける方がやってくることを期待していました。

 イエスさまは大工として働くことによって、ガリラヤ中の人々の姿を見てきました。為政者やユダヤ教の指導者たちによって虐げられ、苦しみ、悲しみの中に追いやられている姿です。イエスさまは、この人々の姿を見つめながら、新たな働きを担っていくことを決意されました。神さまの御心を実現するために働きたいという思いが与えられていったのです。イエスさまはその思いを胸に洗礼者ヨハネのもとに向かい、洗礼を受けることによって神様の声を聞きました。「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と。この声がイエスさまの使命を後押ししたのです。

 ルカによる福音書には、11歳のイエスさまの姿が記されています。その後は何も語られず、マルコによる福音書によれば、「マリアの息子」と呼ばれており、さらに「ヤコブ、ヨセ、シモンの兄弟」「姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか」(6章3節)と語られます。父親ヨセフの名前がないことから、彼は亡くなっていたと考えられ、その後、母親、兄弟姉妹を支えるために働いたのではないかと想像することができます。イエスさまも普通の人間と同じように様々な悩みや苦しみを抱えながら歩んできたとも思われます。

 しかし、そのような歩みの中にあって、神さまの福音を語りたい、という使命が与えられていきました。新しく生まれ変わって神様に仕えたい、という思いを抱いて洗礼者ヨハネのもとへと行ったのです。洗礼は人を新たに生まれ変わらせます。そして、日々の歩みの中で神様に後押しされていることを実感して生きることができるようになるのです。

『ヨハネから洗礼を受けるために大勢の人がヨルダン川にやって来ました。みんなはヨハネの話を聞いて、自分が神さまに背を向けていたことに気づいて「神さま、ごめんなさい。」という気持ちで洗礼を受けました。ヨルダン川の水に体を浸して、体の汚れを洗い流すように罪を洗い流しました。

 そこにイエスさまが来られました。ヨハネはびっくりしました。ヨハネは、イエスさまが神さまの思いに従って生きる正しい方だと知っていたので、イエスさまは洗礼を受ける必要が無いと思っていたからです。でもイエスさまは他の人と同じようにヨルダン川の水に入り、ヨハネから洗礼をお受けになりました。

 イエスさまはわたしたちと同じ人として生きてくださいました。イエスさまはわたしたちの苦しいことも悲しいことも知っていてくださいます。』

 今日はこんなお祈りを…『天のお父さま、イエスさまに与えられた神さまの恵みは、わたしたちにも与えられています。神さまがいつもわたしたちを支えてくださっていることを心から信じて歩むことができますように。このお祈りをイエスさまのお名前を通しておささげいたします。アーメン』

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